フランスと日本の会話の仕方の違い

こんばんは。

パリに戻ってきていつの間にか2週間も経ちました。上の階の人の足音が大きめです。巨人か、200kgくらいの方が住んでいると思います。それで寝れないので、ちょっとホームシック・・。

フランスと日本の違いについては日々いろいろと感じているのですが、今日はフランスと日本の議論の仕方の違いについて、書いてみたいです。タイトルに議論って書いたら読んでもらう人が減りそうだから「会話」というワードをチョイスしました。せめてもの抵抗・・・。

「議論」って、画数多くていかにも難しつまらなそう感がプンプン出てる。眠くなるほどの画数の多さ。フォント小さかったら見えないよ。

決めつけたくはないし、個人的な感想だし、人によって違うというのは前提ですが、(言い訳三拍子)その議論の仕方について、フランスと日本では、なんか根本的に違うところがあるなーと。

フランス人は議論好きとはよく言いますが、聞いていて、総じて議論の仕方が慣れているなーと感じます。

どういう事かと言うと「意見と、発言者の人格を一緒くたにしない。」なー、と。

日本ではなんだかそれらを一緒くたにすることが多い感じがするんです。だって、自分が言った意見を否定されたら、自分の人格まで否定された気分になる時はありませんか?それって、そもそも議論(会話)上で、意見と人格をひとつなぎにしているからかな、と。

だから芸能ニュースとかでも、よくくだらないことで炎上するんでない?

もうちょっとだけ、その人はその人、自分は自分、と考えればいいと思う。

のに、自分と反対の考え方が元で起こった事実に対しては、なぜか自分を否定された気分になるから、一言物申したくなるのではないでしょうか・・。

だから、もし自分が違う意見を持っている時も、相手を傷つけないために、思ってもないのに「そうだね!」とか「わかる」とか言うんだと思う。

それは思いやりでもあると思うけれど、相手と違う意見を言ったら相手に受け入れられないのではないか、ということをどこかで思っているのではないでしょうか。それって相手のキャパシティを決めつけているような感じもする。信頼していない感じが、、。

議論って「意見を交わす」「意見を受け入れる」「その上で必要な時は結論を出す」のが目的だと思うのです。

フランスの大学では、教授も生徒もかなり対等に意見を戦わせるみたい。ディベートの場では、生徒が教授に教えてもらうという感じではなく、対等。だから、生徒が「いいえ、私は教授の意見とは違って、私はこう思います。」といって「面白いね。」と教授に受け入れられたりするのがスタンダードだそう。それってめっちゃワクワクしません?

フランスは、意見が自分と違っても「自分はこう思うから、違う意見だ。でもあなたの意見もまたアリだと思う。」みたいな感じだと思う。

いやもちろん、絶対こうではないと思うんです。反論されてキレてわめいてるフランス人も普通に見るし、、。だから相対的に、そして一意見として捉えて欲しいのですが。意見と人格の切り離しがうまいがする。

もちろん、人格があるから、意見が生まれるのだけれど、同格ではないと思うのです。

私はこう思うんだけれど、みんなはどう思う?

私は、いろんな興味があることについて、真剣に議論したり、話しこんだりするのすごい好きだから、結構いいなと思う。

でも文字通りしゃべり続ける人もめちゃくちゃ多いから、途中でめっちゃ頑張って間で意見言わないと2時間相づちのみっていう事態にも、普通になる。

海外に来たら、話せる、話せないは語学力の問題ではないって、こういう時も思います。語学力が高くても、自分の意見を持っていなかったらしゃべれませんよね。

毎日のこと、週間、歴史、政治、宗教、文化・・・本当によく意見を求められます。

以前に、ベジタリアンについてディベートをした時、全く考えたことなかったから一言も話せなかった・・・。

フランス語のレベルが高くなくても、興味があることなら会話って成り立つと思います。そして、今日書いたような会話の構造を知っておくことは、大切だと思うんです。

そんなことを考える夜でした。

ライトな記事をもう少し頻繁に書いていきたいなーと思っている今日この頃です。

SEO的にもいいらしいし?多分。。あんまり知らないけど。。。

記事を書き始めたらいつも長くなって、そして書き終わるとすっきりしてしばらくボーっとしてしまうので。しばらくって1週間くらい。長

今日は1800文字に収まった・・。

それではまたね。

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