ヨーロッパと日本の就職活動の違い 履歴書には年齢、未婚既婚の欄がない!

こんにちは。髪をオレンジに染めてみたパリ在住のエッセイストSAKI(@Saki_parist)です。
髪を染めたんですけど、結構明るくなって、自分の髪だからなかなか見えないんですけど、自分では。
ふっと鏡を見たら、明るすぎてびっくりするっていう日々を送ってます。
気分転換でやったんですけど、結構いいですね。
気分が変わりまして、着る服とかも「ガラッ」っと、髪の色に合うものって変わるんで、
ブラックフライデーを利用して、買ってきたんですけど、色々冬服を。
ファッションとか、楽しみになりました。
今日のテーマは、
目次
「欧米の履歴書には未婚既婚、年齢、顔写真の載せる所がない!」
って事について話したいなって思っています。
最近、東京に住んでる方と話す機会があって、履歴の話になったんです。
そうしたら、年齢とか性別とか、未婚既婚書く欄があるって聞いて、
「あっ、確かにそうやったな。」って思い出したんです。
その当時は、何も不思議に思ってなかったんですけど、フランスに来てから、履歴書とかに書く場所がないし、それはプライベートな事だから、聞くべきではない。
仕事で年齢とか、未婚既婚で仕事の能力をジャッジ出来ないじゃないですか。
だから書く意味がないので、プライベートな事なんで聞いたらタブーとされてるんです。
それはアメリカとかもそうで、ないんです、その欄がそもそも。
日本は、採用に年齢や顔写真が重要
その東京の方と話していて聞いたら、もちろん履歴書に書く欄はあるし、転職とかする時に募集要項に女性だったら27歳までとか、転職だったら。
寛容でも32歳までっていう縛りがあるって聞いて、超びっくりして、若干引いてます、今。
引いてるっていうか、ちょっと怒りに近いかもしれないですけど、ちょっとびっくりしました。
まだそんな感じ?みたいな事を思ってしまって、ちょっと時代遅れだなって思っちゃったんです。
どうして、時代遅れって言葉、今使いましたけど、なんでわざわざそんな強い言葉を使ったかっていうと、別に海外至上主義とかじゃなくて、海外が軸として考えて、時代が遅れてるって意味で使いたいんじゃなくて、時代に合ってないから「しんどいな、苦しいな。」
って思ってる人が結構いると思うんです。
実際、その話を色々日本に住んでる友人とかから聞いてても、やっぱり、そういうところでキャリアを諦めないといけないとか、1回キャリアから離れたら、またフルタイムには戻りにくいから、一回家庭とかに入ったら。
パートタイムで探さないといけないとか聞いて、
「なんかまだそんな感じ?」て思っちゃったんです。
思い出してみたら、確かにそんな感じやったなって思って、転職活動してみた時に、
そういえば20代後半やったんで、面接の時に。
「結婚の予定はありますか?」とか
「妊娠出産の予定はありますか?」みたいなのを
聞かれた記憶があって、その時私無駄に素直だったから、
「全然ないです。」みたいに、受かりたいから言ってたんですけど、
今これ、自分で言っても「ぞっ」とすると言うか、心が冷える質問だなと思って。
それを普通に聞いて普通に答えてた自分が、怖いなっと思って。
人権侵害に近いっていうか、そこで判断するんやって。
それはもちろん事情があるからだと思うんですよ。
妊娠とかして休職しないといけない事になったら周りの人に迷惑かけるとか、
新しいプロジェクトにこの人は入れれないって判断しないといけないからとか、
もちろん実質的な理由があるからだと思うけど、そもそも、そうしないといけないっていう仕組みがちょっと見直すべきかなって思ったりしますけど。
欧米は、女性も出産してすぐに社会復帰できる文化が多い
妊娠して出産して復帰してる国が多いし、欧米だったら。
物理的には不可能じゃないと思うんです。
あとは文化とか価値観とかガチガチに固まってしまって、そういう状態が続いてるって事だと思うんです。
今って本当に夫婦だったら二人とも働かないと、家計を養っていけないって家庭が多いと
思うんです。
それは、子供が1人とか2人とか3人とか増えれば増える程、難しくなると思うんです。
なぜなら出費が多いから。そうなったらどこかに歪みが出て、仕事が正社員で出来ないとか、子供の人数を少なくとか、諦めるとか、そういう方向になっちゃって、
出生率も本当に結構低いですし、1.1か、1.0になってる。
それってこういうシステムが、昔の男の人だけ働いてたら生活が成り立つ。
子供とか3人4人育てても社会の仕組みをそのまま今も続行してるから、そういう歪みが
いっぱい出てきてるんです。
それにちょっと気付いて声をあげる人が増えたらいいなって思います。
だからあえて、時代遅れっていう言葉を使ったんです。
ちょっと悲しいっていうか腹が立ちます。
やっぱりこれを、私が外というか、海外という所から客観的に見れる立場になってて、
だからこそ言えると思うんです。
それを半分使命みたいに思ってるとこあります。暑苦しいですけど。
でも、渦中の人が声をあげたりとか、違和感に「ん?」って気付かないと、当事者以外が
勝手にやってくれるわけないんで。
そもそも男性が作った男性社会の仕組みの中で、女性の方の揺らぎのあるライフイベント、
ライフスタイルが当てはまらないんで、そもそも。
今、働くようになってきて、社会進出するようになって、システムが変わってないっていうなは、もちろんズレるっていう。
でも、我慢が強すぎるから、「しょうがないな。」とか、
「じゃあ、その中でどうやってやりくりしようか。」ってみたいな感じになってるんで、いやいや、そもそも大枠のシステムを見直すべきだなって思うんです。
でも、やっぱりシステムって枠が大きいから、見えないんです。
デカいから、全体像が。社会とか、社会の仕組みっていう全体像が大きいから、なかなか目の前には見えなくて、目の前に見える会社の中のシステムとか、家庭の中でどうやって
やりくりしていくって、目の前の事をまず注目しちゃうんですけど、ちょっとシステムが
変わればって思います。
このだったらマジで結構やばいなって思います。
2030年、消費税15パーセント時代の到来
両親共に働かないといけない経済状況になってきてるし、今年消費税が10%になって、
2030年には15%になる予定です。
どうやって暮らしますか?
10,000円買ったら消費税が1,000円です。やばいです。
2030年は10,000円買ったら消費税が1,500円、
1,000,000円買ったら消費税がなんぼや?150,000円か。高っ。やばいです。
そういう起こりうる危機を予測して、個人個人が出来る事って自分の中のモヤモヤとか、
違和感を無視しないって事だと思うんですけど、ちょっとずつ変わっていったらいいなって思います。
議論が苦手な文化は、変われない
昔の時代から変わらないのは、我慢強いってものありますし、議論が苦手な文化だから、
発展が遅いってのもあると思うんですよ。
輪を重んじたり、調和を重んじたりとか、同調圧力とかあるから、なかなか議論で新しい
意見を言うとか、反対意見を言うっていうのは、難しい文化だなっていうのはすごい
思うんですけど、議論に感情は入れたらいけないなって思ってて、議論って 、
誰か偉い人とかが「こうだと思います。」って言う事に対して、
「私は、違うと思います。」って言う事が悪い事みたいな、申し訳ないと言うか、言ったら嫌われるんじゃないかとか思う風潮あるじゃないですか。議論って意見を交わす場所だから、そこに感情は入れるべきじゃない。
入れたら、議論出来ない。
そもそも議論の定義が喧嘩みたいになってるから、やりづらいんだと思うんですけど、議論と喧嘩は別なんで。
感情じゃなくて、意見を戦わせる場って事で、どんどん議論をしていけば、色んな人に
気づきとか、考えとかが電波して、発展していく。
いい方向に変わっていくと思うんですけど、どうですか?
結構予定調和な会議が多い感じがするんです。
それを思います。
私の希望ですけど、「ワーワー」言ってる私がおばあさんとかになって、
「こんなん時代遅れやん」みたいに言ってて、その時の若者が
「あのあばあさん、逆に時代遅れな事言ってるで。そんな時代とっくに終わってる。フフフッ。」みたいな。
言われる未来が来たらいいなって思います。
こんな所で私の文句の回は終わります。すみません。
ちょっと怒ってました、今日は。その話を聞いて。
今日はそろそろこれでお開きという事で。
また明日お会いしましょう。
それでは!
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