正直、お金稼ぎを汚いって思う人は三流だと思う。

タイトルが少し過激な今日この頃。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
早速ですが、タイトルの
「お金稼ぎって、汚いの?」
に対するわたしの考えは
No、です。
今日はその話をしたいと思っています。
目次
フリーランスと会社員の違い
この記事を書こうと思った理由を、一つずつ話していこうと思う。
それには、「フリーランスと会社員の違い」について私が思うことをまず話したい。
フリーランスとして生活をし始めて、早4年。間も無く会社員生活と同じくらいの時を、自営業として過ごしています。
フリーランスだったら、会社員時代にはもちろん、当たり前にあった「会社」という楯がありません。
ブラックでなければ、会社員である自分が仕事で失敗しても、
失敗によって発生してしまったマイナスを、会社員自身が自腹を切って払うことって、ほぼありませんよね?
他にも保険、同僚、上司・・などたくさんの守ってくれるものがあります。
対して、フリーランスは、守ってくれるものがありません。守ってくれるのは、自分。
完全に、孤高の戦士。
最終的な見方は自分だけです。
いわゆる「会社の看板」を背負っていないので、自分の名前と能力、知識で戦っています。
保険もろもろに関しての責任も、全て自分のもの。
フリーランスになった時に、払う保険などの税金が高すぎて、「生きているだけでこんなにお金がかかるのか・・・」と愕然としたものです。
会社員だったら、会社が半分とか、負担してくれてるもんね。
会社員の時は、給与明細見ても「なんか明細欄と数字いっぱいあるなー」くらい・・。把握してなかった。(笑)
そして、大切なのが、報酬のこと。
フリーランスなら、働いた分で発生した利益は、報酬として全て自分のもの。(税金除く)
その代わり、報酬をもらう時も、案件内容の交渉をするときも、自分で行わなければいけません。
買い叩かれる報酬と、適切な報酬
仕事をしたことに対する報酬は、買い叩かれることもあり、悔しい思いをすることもしばしば。
会社間の取引では、次の案件に報酬を回す、とか。経費にする、とかができますが、
(わたしはフリーランス的な働き方をしていますが、実際はひとり会社として株式会社を持っているので、社長としては次の案件に報酬を回す、とかの痛みもすごくわかるのですが。。これはまた別の機会に。)
個人なら、そのまま、まるごと、ダメージをくらいます。
もちろん、とってもよくしてもらって、報酬も十分すぎるほど頂いていいのかしら、と思う機会もあります。
その違いってなんなんでしょう?
取引相手の金銭的体力の違い?
それもあるかもですが、本質は多分・・違います。
「お金の正体」は、リスペクトや感謝の気持ち
報酬に違和感がある時、買い叩かれる時、もしくは、こんなに頂いてしまった・・・って時。
各場面で、ビジネスうんぬんの前に「人としてリスペクトされているかどうか」を強く感じます。
もらった額面を見てなにかしら気持ちが動きますが、それはお金!多い!少ない!っていうよりかは、
少なかった時「私のやった仕事は、相手にとってあまり価値がなかったのかな」「当たり前だったのかな」
多く感じた時「すごく私がやった仕事をきちんと見てくれたのかな」「大変なスキルや経験が必要なものってわかってくれたのかな」
って感じていることに気づいてきました。
(もちろんお金稼げた!イェーイって気持ちもあります。それは絶対に。)
だから、
取引相手や自分の価値、仕事の内容を適切に見積もること、それは、
リスペクトがあって成り立つものなのかな、と思います。
そうです。タイトルから、冒頭から、思いっきりお金の話をしていますが、ここで言いたいのは最終的にはお金のことではないんです。
「お金の正体」のことを言いたいんです。
多分、お金の正体は「リスペクトや感謝の気持ち」かな、というところ。
ビジネスは「お金を稼ぐ」ことですが、それではありません。
「お金を稼ぐことって、ビジネスの本質のようで、一部でしか無い。
お金を稼ぐだけなら、極論ちょっと悪いことした方が手っ取り早いのに、そうじゃない。
やりたいことを、想いを持って、それをやりたい仲間らとやってることが大事で、それを繋ぐのが、ビジネスというツールで。
だからリスペクトがなきゃ一緒に仕事できないし、ビジネスもあり得ないと感じます。」
…って、信頼するビジネス仲間が言ってました。すごくしっくりきた言葉なので拝借。(わたしじゃないんかい。)
「宣伝させてあげる代わりにタダでやってよ」っていう交渉
これまで自営業を4年やっている中で、日々いろんな方と出会い、お仕事をしてきました。
人に会う度に、いろんな形の話が舞い込んできます。
そうしているうちにビジネスって、相手へのリスペクトありきだなぁ、って思ったんですよね。
ぼんやりな話になってしまうので、例を出しますが、
例えば、
有名人がたくさん来る、あるレセプションパーティーなるものが行われるとします。
主催者のAさんは、そのイベントで飲食店を経営しているBさんに
「僕のイベントであなたの飲食店の宣伝をさせてあげるから、来てる有名人たちに料理を無料で振る舞ってよ!経験になるし宣伝になるでしょ??あ、移動費とかはそちらの自費で来てね!」
と提案したとします。
まあこの手の話はふつうに、仕事の中でよくありますよね。
宣伝させる場を提供する代わりに、サービスを無償で提供して、という交渉。
ビジネスは、最初から立派なビジネスであることは難しく、最初は泥のように這ってでも営業して、お金にならなくてもやったりというような、そういう形で交渉が成立していくことがよくあります。
これって、お互いが、お互いの提供するものに価値があると感じれば、成り立つかな、と思うんです。
この例え話でいくと、イベント主催者Aさんは、きっとBさんのお店にとって、有名人もたくさんうちのイベントにはたくさん来るから、いい宣伝になるだろう!と思い、良かれと思って提案してくれたんだと思います。多分、悪気はなさそう。
でも、ポイントは「Bさんがそのイベントに営業しに行きたい」と思うかどうか、ですよね。
Bさんのお店のコンセプトや、店主の想い、また店主が考えるやり方や、ターゲット層にそのイベントが合っているなら。
Bさんも、そこに価値を感じ、行って良かった!宣伝になった!有名人に知ってもらって拡散してもらえたし、これからのお店のためになったー!と思うなら。
Aさんも、参加者が満足してくれてよかったー!宣伝の場を提供することで、Bさんも喜んでくれたし、経費も削れてよかった!と思っていたら。
そしたら。
全然ありだと思います。てか普通によくあるやつ。
お互いに需要と供給がマッチングして、お互い価値を感じたビジネスで、金銭が発生していなくても幸せです。
ただ、もし、Aさんの考えが、Bさんは特に望んでいないものだとしたら。
有名人を使ってお店を有名にしたりしたくなかったら?
そういう見せ方は嫌で、自分の力で着実に、本当に求められる人だけに向けて、やって行きたいお店だとしたら?
自分の頑張って貯めた開業資金でやっとの想いでお店を開業し、これまで高級ホテルでも身を削ってシェフとしても修行してきたスキルや経験が詰まっている。
Bさんにとってはマイナスになる可能性も、ゼロではありません。
このAさんの「きっとこうだろう」な考えは、きちんと交渉しているなら問題ないですが、
もし「考えが違うかもしれない」とも思っていなかったら。危険かも。
Bさんに確認せずに押し付けているんだとすれば、あまりにも思考としては雑で、突っ込みどころ満載、相手への思いやりがないと思います。
まあBさんが断ればいい話なんですけれど。
断れないときって、なんか知らないけどありますよね・・・?(ここに関してはBさんが要成長)
「私たちはギラギラしていません」と主張するビジネス
「私たちはギラギラしていません」と主張する、ビジネスをしている人たち。
もしくは、「ギラギラしていません」と言いながら、ビジネスとしてわたしに依頼をしてくる人たち。
なんだろう?強烈な違和感。
「お金稼ぎは、お金を前面に出すことは、汚い」と思っているのだろうか。
仕事として、しっかり交渉することは、いけないのだろうか。
「ふわふわ」「ハッピー」に仕事をしなければならないのだろうか。
「お金」や「メリット」が発生するのはいけないことなのだろうか。
ましてや、自分がサービスとして提供している仕事への対価が十分でないと思う時に、それを取り戻すために交渉することは、ギラギラしていることなのか。ケチ、なのか。
「ビジネスビジネス」「ギラギラ」が嫌ならば、では、ビジネスやらなければいいじゃないか。
お金が発生しないコミュニティや、ボランティア内で済ませるべきでは。
(注*ボランティアが悪いということではないです。混同しているのが悪い。)
それをビジネスというのは、あまりにも言葉の乱用だ。
というか、「お金」の表面だけしか見てないと思う。
リスペクトがあっての仕事、それがなければ受けたくないな。
「生きるために働く」
だからこそ、嫌な思いをしてやるものでは、ない。
「生きるために働かなければいけないからしょうがないじゃないか。」
そう思う人もいるかもしれないが、
正直、本末転倒だと思う。生きるってなにかな。
他の業界に、自分の業界の価値観を押し付けない
いろんな業界があり、その業界ごとの常識があると思います。
需要と供給が成り立ち、お互いがハッピーなら、素晴らしいことだと思う。
それっていい仕事だと思うな。
ただ、その需要と供給の成り立たせ方は、他の業界でも、同じように、成り立つのか?
同じ価値観の業界で成立しているやり方を「きっと相手もこうだろう」と思い込んで貫くのは、あまりにも雑な考えだと思う。
判断が難しいところかもしれないが、
気持ちが疲弊したり、リスペクトされていないと感じて悲しかったら、その気持ちが何よりの証拠だと思う。
形として成り立っていても、相手の気持ちがOKじゃなければ、OKじゃない。
それをビジネスというのは、言葉の定義を広げすぎ、てか曲げすぎだと思う。
なんちゃってビジネスをしている人が多すぎる。
わたしはそれを心の中で「アソビジネス」と名付ける。
(心の中ってか全世界発信のここ、webに書いてますけどw)
ネットビジネスという不思議な世界
特に、ネットビジネス、フリーランス。
すぐにうさんくさくなりさがれる。
なんちゃってでも正直できる。
うさんくさくても、実力がなくても、輝ける。
その逆もあって、実力があれば成果が出しやすいところでもある。
不思議な世界。
その世界で、きちんと自分の足で立って、自分が望まない権力や肩書きに頼ることに比重を置かずに頑張りたい。(細かいですが、大好きな人の肩書きとかには、時には頼ることもあってもいいと思う。伝わりますかね。)
誰かをリスペクトしながら、幸せしながら、本当に意味のあるビジネスをしたい。
きちんと誰かの心に本当に届く仕事をして、それが循環するといい。
長期的に見てもお金が回らないビジネスなんて循環はなく、停滞だと思う。
ああ、この言葉も、うさんくさい気がする。むずかしい。
うーん。シンプルに、明日も一生懸命働こう。。
リスペクト、っていうのがいい捉え方だなって思いました。
ビジネスやお金の捉え方がモヤモヤしてて、人事や派遣会社の営業担当とかがお金のために騙されてんじゃないか、とかビジネスを通して人間不信になりがちなので、このブログを読んで少し心の助けになりました。