ノートルダム大聖堂の尖塔が焼け落ちたこと。

あの時から、それに関してのニュースがひっきりなしに流れ、各SNSのタイムラインはあのでっかい貴婦人の美しい姿で埋め尽くされているけれど、なかなか画像を直視する気持ちになれず・・・。
代わりにもう一人のパリの婦人の写真を。
この記事は、世界遺産であるノートルダム大聖堂の文化的考察でもなんでもなく、今後の修復に向けての建設計画の見通しでもなく、ただただエモに焦点を当てた記事です。
ノートルダム大聖堂って、フランス語で、「ノートル」(私たちの)「ダム」(婦人)って意味。
記事のこれ以降、「彼女」または「でっかい婦人」と呼ばせて頂こ。
実際、いつも彼女を見るとき、建物というよりかは、でっかい婦人に見えるんよな。
パリ市や、パリ市民を見守ってくれている、でっかい婦人。
私が初めて彼女を見たのは、パリに渡仏してすぐの頃。日本から友だちが来てくれたので、一緒にセーヌ川の遊覧船から見た。
セーヌ川の西から東へ船が進んでいく中で、オルセー美術館を右手に過ぎて、ルーブル美術館を左手に過ぎた頃、木々の葉の間から、彼女はゆっくりと姿を現した。
その瞬間のことはすごく覚えている。脳がその光景を切り取っていて、今も頭の中に、季節や気温や匂いと共に残っている。
美しさに、息を飲んだ。
その後間髪入れず、友達に「これがノートルダム大聖堂だよ。」と、意気揚々と説明した。自分も初めて見たのにも関わらず。
特にディズニーの映画「ノートルダムの鐘」によって彼女のことは知っていて、映画と同じく、いやそれ以上に美しい建造物だなぁと心が奪われた。
その後、この大聖堂に登る機会があったが、中の建築や、彫刻のディティールの繊細さ、はかなくも確かなその絶妙なバランスに舌を巻いた。
映画で描かれていた構造と、全く同じだったことにもテンションが上がったし、ひんやりとした空気の中に長い間佇んできた大きな鐘の存在感に圧倒されたし、とにかく私はそのとき彼女を感じることに忙しかった。
パイプオルガンや、ステンドグラスが施された、ノートルダム大聖堂の顔の中心とも言えるバラ窓。
また、そこを通り、さらに上まで登った時には、セーヌ川が東西にしっかりと渡っている、パリ市内を一望できて感動した。
その季節、10月。少し寒かったけれど、その時の景色が私たちを引き止め、一緒に登った友人とかなり長い時間そこにいた。
日が暮れるまで。青から朱色になり、そして藍色になっていく空の下のパリを眺めた。
いつも彼女は、パリをこのように見ているのだ。
そして、私が個人的に気に入っていたのは、彼女を真後ろ、もしくはセーヌ川の方から見た横からの姿だった。
前から見ると、フランス内に様々ある偉大な大聖堂たちと比べても、大胆には変わらないが(もちろん細かくはめっちゃ違う。)、
正面をぐるりと回って、それらの角度から見たときがさらにいいのだ。
その「この建造物、いいねん。特にここが!」を(個人的に)担っていた最大の部分が、今回焼け崩れ落ちてしまった「尖塔」と呼ばれる部分だ。
あの尖塔が、ノートルダム大聖堂の繊細さ、特別感をさらに醸し出していたと思う。
はああ、ショック。
あの尖塔が、崩れ落ちた時のニュースを、その時いたジム内のテレビで見て、思わず「Omg(オーマイガー)」と言ってしまい、隣の見知らぬ人に話しかけた。話しかけたっていうか、顔芸みたいな感じで「今の、見た?やばない?」みたいな。
その後あの瞬間が何度かテレビやネットニュースで流れて、心が痛みすぎて、見るのをちょっとやめている。熱かったやろな。
SNSでその写真が流れてきたら、シャッ、と、素早くスクロールするみたいなのをここ2日間やっています。(事件の3日後にこの記事を書いています。)
パリで暮らしている、フランス人。
私のような海外からやってきた、移民。
楽しい日は、彼女を見て「ありがとう!」
ちょっと疲れた日は、彼女の姿を見て「明日からも、頑張ろう。」
彼女がパリの中心に建ってから800年、どれほどの数の人々が、彼女に慰められ、叱咤激励され、勇気づけられたことだろう。
もちろん私ももれなくその一人で、凹んだときもなんか癒されたい時も、彼女や、またもう一人のでっかい婦人のエッフェル塔に勇気付けられてきた。
(エッフェル塔もフランス語で女性冠詞を使うので、女性と思い込んでいる私。)
今日も綺麗だ。パリにいる。踏ん張っている。今日はちょっと休んで、また明日も頑張ろう、と。何度思ってきたことか。
美しい建造物は人の心を救うと切実に思う。今回の件があってよりその思いが強くなった。
人が作った美しいものはが、後世の人々を癒す。
美しいものは偉大だ。大切な、私たちの文化。
日々こちらが守られてきたから、今度は彼女を守りたい。
できることを、したいと思う。
この記事へのコメントはありません。